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高句麗王の系譜 その2


第三代高句麗王の解無恤の名の由来と考えられる、晋の大貴族の趙無恤の母は身分の低い北狄の翟族出身であったから、同じく北方民族の高句麗人としては親しみがある名であったとも考えられる。
●高句麗が蟠踞した地域は衛氏朝鮮の故地だが、秦初に中原から趙、魏、斉、燕の貴族が亡命や強制労働で移住してきていたから、趙系華人の血が入っていた可能性は多いにある。
●また趙国が匈奴系の騎馬民族と国を接していてすでに前307年に武霊王が騎射、故服を取り入れて戦国の軍事強国になっていて、大貴族の趙無恤自身も戎あるいは翟と言われる空同氏と結婚し5人の息子があったように、北方民族との人種的文化的に混血が進んでいたことも、、趙系の漢人が高句麗においてスムーズに融和しその政権や軍団の一翼を担えた可能性は十分にある。

 いずれにしても、第3代王の「無恤」という名は、高句麗が漢人系や東夷系部落民が混住している地に扶余系民族が南下侵入しそれらを支配して以降も、不断に西方の騎馬民族からの移住、帰服がありありそれらが混住していた多民族国家であったことを示唆している。

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Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修