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戦前期の日本と中国の作家の合同美術展

戦前期の日本と中国の作家の合同美術展について
近代以降の美術家は自己の創作を発表し世間に認められ社会の形成に参加する方法として、展覧会開催を最も多く利用してきた。
展覧会には自己のみの個展、数名の同志とのグループ展、外部に門戸を開く公募展とある中で、作家にとりどのような展覧会とどのように関わるか自体が創作スタイルに含まれる重要な課題であることは間違いがない。
維新前の日本の文化は主に国を文化の宗主としてきた。
1920年代、つまり日本の大正10年から昭和4年にかけては、日本と中国の間での美術交流がもっとも盛んな時期であった。
それを代表するのが上海における石野哲弘による「中日美術協会」の設立と同協会による「中日連合美術展覧会」の開催
、および「中日美術会館」建設計画、大村西崖、呉昌碩、王一亭などによって日中両国の美術交流の場として建設された「西湖有美書画社」、大村西崖による、当代中国絵画と画家略伝を編集した『禹域今画録』の刊行、渡辺晨畝と荒木十畝傍の発案で1921年から1929年まで5回にわたって中国と東京で交互に開催された「日華(中日)絵画連合展覧会」、さらに第4回日華絵画連合展覧会の準備の過程で、以後、同展覧会を拡大して日中ともに二都市で開催すること、および北京に「東洋美術研究室」を開設する拡充案がでてきて、それをきっかけに1926年に設立された「東方絵画協会」である。
 「中日美術協会」は雑誌『中日美術』を刊行し、評議員、特別会員に中国では康有為、張継、鄭孝胥、王一亭、劉海粟、鄭錦、高剣父など、日本では正木直彦、伊集院彦吉、犬養毅、渋沢栄一、団琢磨、山本悌二郎、高村光雲、岡田三郎助、藤島武二、堂本印象など政財界および美術界の知名士多数を擁して、一時は盛んな活動をした。
 5回にわたった「日華絵画連合展覧会」は、日中両国の当代絵画を双方に紹介した最初の展覧会であった。しかし、今日ではそれらの団体、展覧会が存在したこともほとんど忘れられている。
参考資料
『明国期美術学校畢業同学録、美術団体会員録集成』鶴田武良編 和泉市久保惣記念美術館
『1911-1949中国美術期刊過眼録』 許志浩著 上海書画出版社
『中国美術社団漫録』許志浩著 上海書画出版社
『近代中日絵画交流史 比較研究』 陳振濂 安徽美術出版社

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bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修