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中国人の考える過去四回あった中国から日本への移民の潮流

日本各地にある徐福上陸地伝説

私の考えは、新しい歴史の知見により各時代における多様な移民形態を想定しているので、中国人の理解とは少し違っているが、ここでは過去四回ほど大きな中国人の日本への移民の波があったとする一般的な中国人の考えを、まず紹介する。

 それは①秦漢期、②魏晋南北朝期、③隋唐期、④宋明期で大体以下の通りである。

①秦漢期(紀元前3世紀から3世紀まで)
 秦の全国統一に伴う、亡国の支配層や難民、また有名な徐福に代表されるような窮民・野心家たちの朝鮮半島や日本列島への移民。漢武帝が朝鮮を滅ぼし遼東、朝鮮半島に四郡を設置し、そこに多くの漢族が正式に移民したが、一部は様々な目的・理由で更に先の日本列島にある、すでに漢朝廷から印綬を受けたり関係のあった大小の国々に移民した。
②魏晋南北朝期(3世紀から6世紀)
有名な三国志の魏の次の晋が北方民族により古来続いた漢民族の王朝が滅ぼされてから数百年間中国の北半分は様々な異民族に支配され残酷で苛烈な支配により漢民族がその地を離れ大規模に南へ移民した。その一部は東に逃れ、さらにもともと遼東、朝鮮半島にいた漢民族の一部はさら平和な日本へ集団で移民した。彼らの多くは秦始皇帝、漢の皇帝の子孫を自称し、子孫は後に秦氏、漢氏、王氏などとも称された。
③隋唐期(6世紀末から10世紀)
 大唐が強勢である一方で、当時の日本は奴隷社会から封建社会への返還の陣痛期で国力が衰えていたので、中国から日本への移民は前の時期ほど多くはなかったが、遣唐使の帰国とともに来日し日本の朝廷に仕えた沈惟岳、袁晋卿等や鑑真などの仏教僧の来日定住があったし、遣唐使の藤原清河が中国人女性と結婚したような例もあった。

④宋明期(13世紀から17世紀末)
遣唐使の廃止後から元までは政府間の交流はなかったし、大規模に移民し帰化する潮流は基本的に終了していた。モンゴルの宋征服による遺民や南宋温州雁山能仁寺の住持である高僧祖元や明朝の宗室遗民である朱舜水の亡命などの日本への移住はあったが以前に比べれば全く少なかった。その原因の一つは造船技術の進歩により一般民衆も舟に乗り移民できるようになったが、彼らのほとんどは人が少なく気候が良く、移住が簡単な南洋を目的地にするようになったので日本は移住先の選択肢にはなかった。そして日本が徳川幕府の鎖国政策をとることになったので、2000年ほどの日本への移民の歴史は終結した。




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プロフィール

bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修