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松井石根大将の講演「大亜細亜主義と支那」で日本帝国陸軍軍人の人道主義・知性を知る

松井石根 対アジア主義と支那松井石根 礼装

松井石根大将の講演「大亜細亜主義と支那」を読むと、松井大将の人間性と陸軍軍人の真の姿がよく理解出来ますのでご紹介します。

 

 当時は支那事変勃発一年前の昭和117月で、松井大将が強烈な反日潮流下の支那に行き、蒋介石、何應欽、孔祥熙等、政権・軍・経済の国民党指導者等と会見し、全力で日支協同を説得したが成功しなかった中国旅の直後です。

 一方で、天津に現地の有力者を代表や幹部とした大亜細亜協会天津支部が設立され、支那の大勢の子供たちが「興亜の聖業」に参加する作文を書いたり、満洲国、台湾でも大亜細亜主義が治世の方針として根付き、大亜細亜協会がフィリピン、インド、ビルマの独立の志士や、イラン、アフガン、トルコ、タイ等数少ない独立国らとも盛んに交流するなど、松井大将の提唱する大亜細亜主義への理解・賛同がアジアに広がりつつありました。

 また、国内でも、各所で教育に取り得れられたり、講演会が開催され五千人の観衆が集まり会場外にも参加者あふれかえるほど、大亜細亜主義への関心が高まっていました。

 

本「大亜細亜主義と支那」はそのような時に、経済人を対象としてされた講演です。




「大亜細亜主義と支那」陸軍大将 松井石根

(※溝口の要約、全文は下)

昭和1176日講演

於東京日本橋倶楽部

支那研究の必要

 私は三十数年間の陸軍生活の大部分支那の研究に没頭し、先輩の指導を受け支那に関わっていたが、最近のは支那との関係は未曽有の悪い状態である。「大亜細亜協会」を組織した狙いは、主として支那にある

 満州事変以来四年立ち満洲は落着いたが、南の支那方面に問題が主として起こり、所謂経済戦が開かれている。

 私は満州事変起って間もなく、ジュネーブ軍縮会議陸軍全権を命ぜられ、満州事変直後の満洲を後にしてヨーロッパへ行った。

支那を代表してジュネーブに来た支那全権たちは、以前互いの胸襟を開いてアジアの事論じ合った仲間であったが、往来では顔をそむけ、議場に出れば、敵同士として心にもない誹謗をし合い、それを西洋人が聞いて居て、笑いを含んで批評した。私は軍縮会議もへちまもないと、途中で軍縮全権を辞退し帰朝した。 

大亜細亜主義の使命

 帰朝途中に見た満州国は、満州人自身の抱負もなく、日本側も確たる方針はないが、軍人とそれ以外の大部分が、日本が満州全面を占領し保護国にするしかないと考えていた。

私は これは、今後のアジアに於ける日本の立場の行方を左右する非常な重大事だと感じ、東京に帰った。

東京の朝野の意見は殆ど大同小異で、興奮の極に達して居り、外務大臣ですら公開の席で国を焦土と化して貫徹する公言した。国を焦土と化してよいとは、静かに考えるなら可笑しな話である。

私共は話し合い、先ず「大亜細亜主義」を標榜し、冷静に今後の日本の行くべき道を考え定める外に道はないとの結論を得た。

大亜細亜精神を自覚するならば、現在の行き過ぎを反省し得るし、また逆に躊躇に決断を与え得て進ませる事ともなり、結果として挙国一致の日本の大方針が出て来ると考えた。

 

「大亜細亜主義」とは如何なるものであるか。

白人文化への没入 

大亜細亜主義を語るには、先に支那と日本の敵対する原因と経緯を知らなければならない。

支那も日本も、東洋の諸国が、古来の文化と道徳をなおざりにして、西洋白人文化、思想に煩はされて、思想が混乱に陥って居るのが日支敵対の根本原因である

 支那人が、自分の古き、固有の道徳、文化を非常に侮んで、西洋文化に心酔して、然も無茶苦茶に取り入れた為に、非常に変なことになって来たのです。

思想的に混乱状態の支那

 支那には一番初めにはイギリス式デモクラチック、民主思想が入り清朝末にイギリス式立憲政体が起り、革命後も一時その思想が支配的だった。その後、漸次アメリカ式の共和思想に進み、遂に共和思想で統治しようとなったが、うまくいかないので、変体してロシアの共産主義で共産化しようという考えも出た。しかし共産主義の危険に目覚めたので中途で止めたが、共産主義、唯物主義の思想は、支那各地に非常に深く浸透した。

そうして、蒋介石たちが、新しいヨーロッパ情勢も考え、共産主義に代わるヒットラーとかムッソリーニのファッショ的思想、政策で支那を纏めて行こうとなった。それは古来の民族習慣に添わない点もあり、儒教が再び勃興して孔子廟などを再建したりし、今の総合的な「新生活運動」になって来た。

支那は、2、30年という短期間に非常な変遷推移し、一般国民思想的、政治的に非常に錯綜混乱を極めたので、それがもだえもだえて内にも外にも今日の様な、ほとんど脱線した態度を取るに至った 

軍部の対支観

日本では、御維新以来、日本に西洋文化が大量に入った為、古来の国民精神、思想が動揺し、支那と同じく古来の精神、道徳を軽視した西洋流の思想、政策の真似が相当多い。それが東洋に非常に悪い結果を与えた。

 我々軍人方面では、日清戦争以来40間の軍事的行動が、果たして日本精神や日本古来の武士道に十分適っているか否やについて考える余地がある

支那人は日本の所謂、侵略主義、帝国主義の横暴は軍人界にあると見ているが、勿論全然誤解であり、そうではない、日清戦争後の日本軍部には支那を侵略するとか併合する考えは毛頭なかった

しかし支那人にその様な感じを持たせこと自体は、反省しなければならぬ。

 私は陸軍長老の川上荘六大将、児玉源太郎大将、明石元二郎、宇都宮太郎大将等の教により支那を救い助け両国力を合わせてアジアの為、世界の平和に貢献しようという、非常に宏遠な理想を持っていた。

私共は何の野心もなく、本当に強い陸軍を支那に建設我皇軍と呼応してアジアの平和に貢献するために、日露戦争直後に支那に行き、支那の辮髪をつけ支那服を着て、支那人の中で支那語を使って誠心誠意尽力した。

今日でも我が軍部に於ける伝統的な考え方はそうであると確信致しますが、日本精神、陸軍伝統精神から見て、考えなければならぬ事実が多少はないでもない。

経済方面でも、共存共栄主義の下、正直、親切に支那に対して動いたか、我々は常に「西洋人はアジアを搾取する」と言うが、その西洋人と一緒になって支那で動いた日本の経済工作は、寧ろ西洋人よりも厳しく搾取的だと言われた。新興日本が西洋と競争、対立し、新地位を築く為に、敢えて彼等と似たこともしたのだが、支那と日本の関係が悪くなった重大原因であることを、我々は十分に反省すべき。

 今日日本は、世界の大国、強国で支那、フィリピン、印度、アジアの同胞を率いて世界に立って行く使命と実力を持って居るから、今、深く反省することが必要。まして満州事変を契機に政治的、経済的に国際的孤立へ漸次経過しつつあるのだから一層、この点について深く考えるべきだ。それがが支那と日本の悪い関係を解除する上で考うべき重要事である。これが私共の大亜細亜主義を主張した所以の一つなのだ。 

日支関係悪化の原因

 今日は支那と日本が政府と政府の確執だけでなく、軍部、政治家また一般経済界が真の共存共栄を計らかったことが積もり積もってお互いの嫌悪感を醸成し両国民が感情的に争う事になった 

その根本は、元来支那人が日本人を見る見方と、日本人が支那人を見る見方の大なる違いにある。

支那からすると、日本は国土が小さく人口も少ないし富も少ない小国で、文明も支那から教えた後進国である。

ところが近頃急に日本が進歩し、偉くなって支那人を侮蔑、力に任せて侵略、圧迫するのが、古来、東のえびすであるはずの日本人が今日立場を異にしているとして憎くてたまらぬのである。

 日本の支那の見方は、子供が支那人を見るとちゃんころと言うように、政治的、思想的又経済的にも非常に支那は劣等な国であると侮蔑的に考えていて、又日本の言う事を無視するとして悪感を抱いている。

日清戦争後、日本の青年及び軍隊内では「撃てや殺せや清国を」という軍歌を盛んに歌ったが、最近も支那が排日、抗日をするのに対して「また撃てや殺せや支那を」という考えが一般に普及している。

少なくとも支那の実質以上に支那人を侮蔑していると、私は思う。

 真の支那を認識せよ

 支那人は成る程精神的にも、誠に不快な感じを抱くことが多々あるが、儒教とかの精神界がないわけではなく、広大な土地に大なる資源が存在し、生存の為に努力発展する力が非常に大なのも事実。

支那人数百万が、政府から全く援助なく南洋やアメリカで西洋人の支配下で経済発展をとげているが、一方で大きな国家的援助、保護を受けている日本人が満洲、アメリカ南洋にて、華僑に比べてどれだけの事を成し遂げ得ているかを考えるれば、支那人を無下に蔑むことは出来ない。

 支那が政治的に非常に混乱ており、国民性にも非常に欠陥があるのは事実だが、その混乱、欠陥を善導して行く事こそが我々日本国民の使命なのであるから、大国気分の支那を扱うには日本人が偏狭な島国的気分を捨て、もう少し寛容にならなければならぬ。

 私共が大亜細亜主義を主張するにあたり、先ず日本国民朝野の理解を願うのはそこである。

従って、昨年私は四カ月余り支那の南北を旅行し時、支那の方にも申したが、両国の問題を解決するには日本人と支那人が、相互に良く反省をする、という心掛で進むより外にない。その心両国民の間に出来ましたならば、両国の此の問題を解決することは、決して難しくない。

 新任の川越大使も「今、政治的問題は難しいから経済的親善を計ろうとの考えがあるが、今日日支関係は全般的且つ感情的に悪化しており、日本が政治的にはうまく行かないが経済的に提携と言えば、支那人がよろめいて来ると考えるのでは、支那人に日本の足下を見透かされるだけだ。」と述べている通りだ。

 先ず支那に向かって、日本は何等支那に対して求めることはない言うべきだ。

「憐れむべき、悲しむべき支那を救ってやる、これを育て、将来日本と手を握って、アジア平和の為に貢献する」以外に、我々が言うべきことはない。此の心持さえ一つ日本の朝野の人がお持ちになって行くならば今後支那との関係は、期せずして自然の常態に到来すると信じる。大亜細亜主義の狙い所が鼓の様なものである。



以下は『日本講演通信 第325号』掲載の全文(一部略)です。

松井石根大将著「大亜細亜主義と支那」

『日本講演通信 第325号』(日本講演通信社)昭和1181日発行

 

大亜細亜主義と支那

陸軍大将 松井石根

昭和1176日講演

於東京日本橋倶楽部

 

支那研究の必要

 私は従来主として支那に関係した仕事をして居りまして、陸軍生活の大部分支那の研究に没頭した様な次第であります。先輩の指導を受けて三十何年間支那のことに与って居りましたが、事、志と違って、支那のことはだんだん悪くなるばかりで、最近の如きは殆ど未曽有の悪い状態であると思われます。而して是等の問題をどうしても直さなければならぬと云うような見地から先年来私共が「大亜細亜協会」と云うものを組織して居るのであります。此の協会の狙い所は、勿論主として支那にある。最近の時局に出発して居るのでありまするから、多少自家広告の感がありますが、此の機会に私共の亜細亜運動に就いて申し上げることをお許し願いたいと思います。

 先般の満州事変以来、所謂軍人とか外交官が国際の第一線に起っていろいろやっておりますが、三年、四年と時日が立ちまして、段々様子が変って参りまして、満洲方面は漸次落着いて来、先が見える様になったかと思います。而して其の戦線が南に向かって移り、最近では南の方面に主として、所謂経済戦が開かれて居る様な趨勢でありまして、今後は此処にお集りの皆様方に所謂第一線に立ってのお働きを願わなければならぬ、我々は寧ろ後の方からお世話する様な時代になったと思います。従いまして私共は、此の戦争を矢張り主として政治的、国際的に考えて居るのでありますから、皆様の様な経済的に若くは技術的に御研究になって居らっしゃる方に対しまして、大体の狙い所をご相談申し上げると云うことは、実に時節柄重要だと思うのであります。

 実は満州事変起って以来、私は間もなく、あのゼネヴァ(※ジュネーブ)に開かれた軍縮会議の、陸軍の全権を命ぜられまして、満州事変直後に、満洲を後にしてヨーロッパに参りました。そうしてゼネヴァの国際連盟に於きまして、直接軍縮会議には係わり合ったが、いろいろに満州事変を取扱った国際連盟にも、直接間接に関係致したのであります、当時私の感じましたことは、日支亜細亜の問題を米国人、或はヨーロッパ人其の他の前にさらけ出して、彼等の論議の種とすることは、寧ろ其筋でないと思ったのであります。殊に私の如き只今申しました様に、多年支那のことに係わって居りました関係上、ゼネヴァに於ける国際連盟の軍縮会議にも、矢張り支那を代表して出て来られた全権の方々は、殆ど大部分私共のお友達であったのであります。先にお互胸襟を開いて東洋の事を亜細亜の事論じ合った仲間でありました。

 それがゼネヴァに於いては、往来で会いましても顔をそむけて通り過ぎると云う有様で、議場に出ますれば、当然お互敵同士、時には心にもないことを言いあって誹謗を仕合う、こちらでは即ち支那には国家的の組織が出来て居らぬとか言い、支那側から言いますと、日本は九か国条約の侵略者であると云う様な心にもないことを言い合う、そうしてそれを後の方で西洋人が聞いて居て、笑を含んで彼是批評をして居ると云う様な場面が、連日ゼネヴァに展開されて居ったのであります。で私の如き従来専ら東洋の事、支那の事を念願として居りました者としては、到底其席に居たたまれなくして其の席を立って帰りましたことが一、二回じゃなかったのであります。結局斯の如き事をやって居っては、到底これはいけない、軍縮会議もへちまもないと云う様な感じをつくづく抱きまして、私は途中で軍縮全権を辞退致しまして、実は帰って参りました。

 

大亜細亜主義の使命

 其の途中満洲を通って見たのでありますが、当時はまだまだ満州事変後一年でありまして満州国と云うものが、承認されるか、されぬかと云う時代で、自然満州人も満州国其のものに就いての抱負もなく、日本側としても、此の満洲をどう云う風に引っぱって行くかと云うことの確たる方針もないと云う様な有様でただ軍人の間には、勿論満州は日本が占領してしまうより外に仕様がない、少くもこれを保護国位にしてしまうより仕方がないと云う考えを持って居たものが多く、亦軍人以外の方にもそう云う意見を持って居られる方が大部分であった様に見えたのであります。私はこれを見まして、これは事重大である、果たして我が日本が満洲を占領して居ると云うことに依って、今後日本の亜細亜に於ける立場はどう云う風に導かれるかと云う感を、一層深めまして、東京に帰って来たのであります。

偖て(さて)帰って来まして、そうして東京の皆様方の、朝野のご意見を承ると云うと、当時は東京に於ても殆ど大同小異の考え方が多いと申すよりも、寧ろ私が当時感じました感想を露骨に申しますと、殆ど当時は朝野挙げて興奮の極に達して居り緊張の極に臨んで居り、外務大臣ですらも公開の席場に於て、国を焦土と化しても是非やらんければならぬ、と云うことを公言されます様な次第でありました。併しながら国を果たして焦土と化してよいのでありましょうか、実に静かに考えるならば、相当に可笑しな話だと思うのであります。それでこれはなんとしても、国民がもう少し冷静に考えなければならぬ、そうして興奮の状態から少し落着いて今後日本の行くべき道、取るべき方針を大体に於て定めんければいかぬ、これなくして所謂興奮の儘突進して居るだけでは、どこに行って落着くのか分からないと云う感を益々深く致しまして、其の結果日本の大体進む道を定めること、それを目標と致しまして、我々同志友人あたりともいろいろ話合いました結果、私共は先ず今日の「大亜細亜主義」と云うことを目標にして、行くより外に道はない、此処に我々の目標を定め此の大亜細亜主義、大亜細亜精神と云うものに自覚を与えたならば之に依て或は現在行き過ぎて考えて居るものに反省すべきものが多分にあるであろうし、また逡巡して決し兼ねて居るものに決断を与えて思い切って進ましむる事ともなり、自から其処に挙国一致の方針が出て来るのであると云うことを考えまして、従来微力ではありますが、我々同志の間に亜細亜協会と云うものを組織を致しまして、其の研究に従事すると共に、我等の此の精神を先ず日本の朝野に漸次宣伝をし、同時に又亜細亜の各地殊に現在最も重要なる支那の局面に、これを注いで行こうと云う風に努力して来た訳であります。

 

白人文化への没入

 然らば其の「大亜細亜主義」とはどう云うものであるかと云うことに御疑問になると思います。それを申し上げるまでに少しく支那の情勢を申上げた方がよいと思います。で支那と日本との関係は先刻も申上げました様に、実に未曽有の悲しむべき状況に陥入って居る。斯の如き現状に陥ったのは然らば何れに原因があるかと云うことを一つ考えて見る時に、いろいろの事情があると思います。或はお互いの誤解に基くとか、或は感情に捉はれて居る点もありましょうし、或は政治的に原因して居る問題も多々ありましょうが、又却って経済関係に原因して居るものも少なくない要するにいろいろなことがありますが、これ等の問題を総合して、考えますと其の根本の原因としては、支那と言はず日本と言はず、東洋の諸国が、東洋古来の文化と道徳と云うものをなおざりにして、所謂西洋人の白人文化に染み、もしくは白人の思想に煩はされて、此の東亜の一般国民の思想が混乱に陥って居ると云うこと其のものが寧ろ根本原因であると私共は考えて居るのであります。

 支那に就きまして申上げますならば、ご承知の通り、支那は四千年来の古き文化を持って居る国であります。‥‥中略‥‥。此の間世界の学者に依って、北海道で日蝕の観測が行れ天文の研究に従事されたのですが、此研究の根源たる彼の地動説と云うのは古き昔、支那の学者に依って既に唱えられて来たのであります。斯う云うものを数えて来たら其例は少なくないのであります。斯の如き支那人が、自分等の古き、固有の道徳、文化と云うものを非常に侮んで、西洋流の文化に心酔して、然も其の西洋文化を無茶苦茶に取り入れた為に、非常に変なことになって来たのであります。

 

思想的に混乱状態の支那

 大体に西洋文化が支那に入った有様を、政治的に思想的に見ますならば、言うまでもなく支那には一番初めに主としてイギリス式デモクラチック、所謂民主思想と云うものが入って来たと思います。そうして現在のイギリスの立憲政体と云う様な考え方が支那に行われて、清朝の末にもそう云うことが起り、革命が起った後も尚相当此の様な思想に依りて、支那を支配したのであります。それが其後革命の進捗に伴うて、漸次アメリカ式の共和思想にもう一歩進んで来まして、遂に全然たる共和思想に依って支那を統治し、社会を纏めて行こうと云う風になって来たのでありますが、暫くこれをやって居りますところが、又中々うまく参りませんので、其の結果はもう少し茲に変体をして、所謂ロシアの共産主義を引っぱって来て、一時支那を共産化しようと云う風な形勢にまでなって来たのであります。

然しこれも亦暫くやって居る中に共産主義の危険なことに目覚めて、中途でこれを止めましたけれども、今日でも尚お其の共産主義、所謂唯物主義の思想と云うものは、非常に支那各地に浸透して居ります。そうして段々支那の政治、殊に現在南京政府の主席、蒋介石あたりは、最近のヨーロッパの情勢にも考えたのでありますが、共産主義に代わるに今度は新しい、所謂ファッショ的思想即彼のヒットラーとかムッソリーニとかの政策を以て支那を纏めて行こうという風になって来た。でそれが今、極く最近では支那一般の古来民族の習慣に添わない点もあり、これが為に久しく殆ど捨てられた様な儒教が再び勃興して来て、孔子の廟も新しく再建するとか、所謂新生活運動なんて云う言葉を以て、昔の儒教を支那に取り入れるという風な気運になって来た、非常な短い二、三十年間に、非常な変遷推移をして来て居るのであります。益々支那と云う国は、一般国民の思想的にも、政治的にも現代に於ては、非常に錯綜混乱を極めて、其の帰趨するところがない、其の結果が今日の支那の状態となり、政治の混沌たる状態が延いては、一般民衆の思想を惑乱せしめて、其の結果がもだえもだえて内にも外にも今日の様な、殆ど脱線した態度を取るに至ったのであります。

 

軍部の対支観

 支那から見ましたら、彼が単り日本に対してばかりでありませず、其の他諸国に対しても、殊に日本に対する態度の今日悪化したことの根本の原因はそこにあると思います。これをまた日本側から見まするとどうなるか、私共は同じ様なことを日本の上にも考え得られると信じて居るのであります。申し上げるまでもないのでありますが、御維新以来、日本に此の西洋の文化というものが沢山入って来た為に、日本の古来の国民精神なり、思想なりの上に少なかならざる動揺を与えたことは事実であります。而して此の明治以来の日本人が、新しき日本を建設せんがために、内にも外にも働いた、其動き方はどうもこれは支那と同じ様な、日本古来の精神、古来の道徳と云うものを軽視してしまって、西洋流の思想、西洋流の政策に真似てやって来たと云う様なことが相当多い。其の結果が東洋の不幸なる場面を開き、東洋に非常に悪い結果を来たして居ると言い得ると思う。

 具体的にこれを申上げますならば、我々軍人の方面から見ましても、過去日清戦争以来四十年の間に、軍事的にやったところの行いが、果たして盡く日本の精神に適合して居るや否や日本古来の所謂武士道に果たして、十分適っているかどうかと云うことを、私は考えさせらるべき余地があると思います殊にこの問題に就ては支那から申しますと、支那人は最近日本の所謂、侵略主義、帝国主義を非常に悪罵して、そうして日本に於て此の主義の横暴を極めているのは主として軍人界にあると、云う風に見ております。勿論斯くの如きは全然誤解でありますけれども、併し支那人に斯様な感じを持たせると云うことは、我等のよくよく戒心反省しなければならぬことが少なくないと思います。然らば明治以来日本の軍部の、此の支那に対する考えの如きは、実際そういう侵略主義、帝国主義の頭であったろうかと申しますと、実際そうではない。

 私は先刻申しました様に、陸軍出身(出仕?)以来日本国軍の長老である、川上荘六大将、児玉大将、明石、宇都宮大将等の教を受け、支那のことに関係をして、来たのでありますが、日清戦争当時より以後に於ける日本軍部の支那に対する考え方というものは、決して支那を侵略するとか、支那を併合するとか云う頭は毛頭なかったのであります。所謂支那と云うものを救い支那を助け亜細亜の為に、世界の為平和に貢献しようと云う、非常に宏遠なる理想を持って居ったのであります。従いまして私共はそれぞれ友人たちと、日露戦争直後に多数支那に行きまして、支那の陸軍の建設に従事したのでありますが、当時私共は支那の辮髪をつけ支那の服を着て、支那人の中に入って、支那語を使って支那の陸軍の建設に、誠心誠意尽力して居ったのであります。私共当時の心持は、本当に強い陸軍を支那に建設我皇軍がそれと相呼応して亜細亜の平和に貢献しようと云うの外に何等の野心もなかったのであります。今日でも我が軍部に於ける伝統的の考え方はそうであると確信致します。けれども仔細にこれを見ると云うと、其動き方が建国以来伝来の日本精神の上から見ても、又我が陸軍の伝統的の精神の上から見ても、多少とも考えなければならぬ事実がないでもないのです。

 また更に経済方面を見ましても、私はそう居うものがあると思います。皆様は殆ど財界の方でありまするが、過去に於ける日本が、支那に向かって常に共存共栄と云うことを唱え、所謂東亜の隆盛を目標として、経済的に支那に向かって動いて居ったのでありますが、事実我が実業界の方であり、支那にいろいろ経済的に動かれた方々が、果たして此の共存共栄と云う主義の下に、正直に、親切に支那に対して動いて居られたか、我々に常に「西洋人は亜細亜を搾取する」と云うて悪口を云うが、我々日本人は果たして過去に於て、其の我々が搾取すると云う西洋人と一緒になって若はこれと競争して、支那に対して搾取すると云うような動きはなかったかと云うことを疑わざるを得ないと思います。私は遺憾乍らそう云うことはなしとは申し上げられない。かくて従来日本の支那に於ける経済的の工作と云うものは、いろいろの方面に於て、寧ろ西洋人の支那に於ける工作よりも、更に以て深酷に零砕に、支那に搾取的に動いて居ったと云う点が少なくないだろうと私は見る。勿論これらの情勢は、日本当時の国力に関係する者多く、又西洋諸国から非常な圧迫を受けて、日本が常に西洋人の搾取を受けて居った当時から見て、これ又己を得ない事情もあったに違いないと思います。又新興日本が新しい文明の上に立って、西洋諸国と競争し、対立し、日本の新地位を築かんが為には、自ら力を養う為に自ら財力を培わんが為に、彼等と似た様なことも敢えてした。支那と言わず、朝鮮と言わず、亜細亜の諸国に動くことの已を得なかった事情も十分にあったと思います。それがまたして是等の過去の実情が、支那と日本との関係が今日の如く悪くなった経路を辿って来たと云う、重大なる原因であるということを、我々日本人としては十分に反省しましてこそ価値があると思うのです。

 先刻申し上げた様に、過去のことは論ずる必要はなく、又過去は過去の如く、又已なき事情に出発した点もあるのでありまして、今更彼是詮議立てする価値もないのでありますが、今日に於きましては日本としては押しも押されもせぬ、世界の大国であり、強国である。当然この支那と言わず、ヒリッピン(フィリピン)と言わず、印度と言わず、亜細亜の有ゆる我々の同胞を率いて世界場裡に立って行くべき使命と実力を持って居るのでありますから、今や日本としては大いに斯の如き点に、深く深く反省することの必要があると思うのであります。況や満州事変を契機として、日本が全然国際的に孤立のような状態に陥って政治的と言わず、経済的と言わず、昨今の様な場面が漸次経過しきつつあるのでありますから一層、我々日本人として斯の如き点に於て深く深く考うべきものと私は考えて居ります。是等が支那と日本の今日の悪い関係を解除する上に於て、我々が考うべき重要なる点である。これが私共の所謂大亜細亜主義と云うものを主張した所以の主要なるものの一つなのであります。

 

日支関係悪化の原因

 次に更に支那と日本との関係が悪化した他の原因を考えまする時に、無論古い昔から今日まで、日本と支那とは縷々戦をしたこともありますし、争うたこともあります。今日は支那と日本との関係が唯両国の政府と政府の確執によって争うのでなく、全般的に支那と日本国民の間に、感情的に争う事になったのであります。斯の如きことは過去二千年有余の日支両国間の修交の期間を通じて嘗てなかったことと私は考えます。然らば斯の如く両国国民が感情的に悪くなった事情はどう云うことであろうかと云うことを考えたい。これも亦重要な事であろうと思います。これは先刻申した様に、軍部と言わず、政治家と言わずまた一般経済界と言わず時に真の共存共栄の常道を経て行かなかったと云うことが積もり積もってお互いに悪感を持って来たと云うことになりますが、更にその根本を考えてみますると元来支那と言い支那人と云うものが、日本人を見て居ります見方と、我々日本人が支那人を見て居ります見方とは、そこにどうしても大なる違いがある。支那の方から言わせると、日本は国も小さいし人口も少ないが国土も富も少ない、また日本の文明というものは、これは元来支那から教えたものである。日本は寧ろ支那の後進国である。彼等は大体そう云う風に見て居るのであります。そこで近頃段々日本人が進歩し、急に偉くなって、支那人を侮蔑して、力に任せてこれを侵略し、圧迫するので、誠に憎むべき日本人であると云う風な感じ方が、支那人全般的に、根本に私は存して居ると思います。殊に支那の中心とも云うべき広東地方に於きましては、あの地方の人達は古くから、西洋文化に親しみ又古来あの地方の人の性格として、日本人と云うものに対して、少なからず寧ろ軽蔑の念を以て居った。それが最近国情が違い、文化の進歩が非常に懸隔が出来た為に、或程度まで日本の大なることを認め、日本の国に従わんければならぬと思われますけれども、昨今の様に日本人が、支那を侮蔑し力に委してこれを圧迫して居ると云うことに就いては、どうしても古来の対日本観念から見て、 我慢出来ない様な事情が多分にあると思います。

 ご承知の通り従来支那では東夷と云う言葉を昔から使いますが、支那人の東夷と云うことは日本と云うことを意味する。日本のことを東夷夷狄であると申します。東夷とは東のえびすであると云うことであります。日本人は東のえびすと支那人は考えて居る。それが今日位置を異にし、反対に斯の如き情勢になると云うことは、如何にも彼等として、感情的に癪にさわって憎くてたまらぬ様な気分が相当に深いと申すべきであります。

 然るにこれに対して日本の支那の見方は如何、これは私が申し上げるまでもなく、今日日本の子供が支那人を見るとちゃんころと云うて、奴等劣って居る国民であり、政治的にも、思想的にも又経済的にも非常に支那と云うものは劣等な国であると云う様に日本人は考えて居ります。又近く支那人は別に何も日本を圧迫したこともなく、侵略したこともないが、支那人が日本の云う事を能く聞かぬと云うことを以て支那人に対して悪感を抱いている云うことが日本人にある。丁度日清戦争後あたりに、日本の青年及び軍隊内に「撃てや殺せや清国を」という軍歌を盛んに歌ったのであります。どうもそう云う事が日支間国民の感情的阻隔の原因をしている居るのじゃないかと思いますが、最近でも支那が排日、抗日をすると云うことで、「また撃てや殺せや支那を」と云う様な思想が相当一般に普及し居るやにも思います。少なくとも大部分の日本人が支那人を侮蔑して居る支那の実質以上に支那人を侮蔑して居ると云うことは、私は言い得ると思う。

 

真の支那を認識せよ

 現代支那の国民と云うものは、政治的にも経済的にも疲弊しつつあることは事実であります。然しながら先刻も申上げました様に、決して今日支那に儒教とか精神界と云うものがないではないのであります。支那人自体はこれを統制し文明的に利用、活用する力が十分でないと致しましても、事実あの大きな土地に、あの大なる資源が現在しているのも事実であります。支那人と云うものは成る程精神的にも、誠に我々として不快なる感じを抱くことが多々ありますけれども、彼等が其の生存の為に努力し発展して行くと云う所の力と云うものは、非常に偉なるものと云うことも事実であります。御承知の通り、事実はあの我々が侮蔑する支那人が、現在何等政府からの後援もなく、然も数百万の多数が、南洋又はアメリカの各地に於て、西洋人の権力の下に其の偉大なる経済的の発展を遂げつつあると云うようなことは、如何に支那人に偉大な力があるかと云うことを証明し得ると思います。今日日本人が満洲の方面に、更にアメリカ南洋の方面に於て、幾万の人間が、支那人の所謂華僑に比してどれだけの仕事をしているか、然も日本人の南洋其他の各地の人々は、支那人に比して非常に大きな国家的の援助もあり、国家的の保護を享けて居ると思います。斯く考えます時に、国家の何等の力を藉(かり)りずに居る支那人と云うものを決して無下に蔑む訳には参らぬと思います。

 尚又た支那と云うものは、其の支那人の力が如何がであるに致しましても、其の大きな土地あの大きな資源と云うものは何としても尊敬すべきものである。農産物は優に、数億の資源を一年して取り返すだけの力を持って居る。それが政治的な作用がうまく行かないと云う様な、又はいろいろの天災等の為に、不幸続きでありますけれども、これに一年続けて支那に豊年が出来、政治的争乱がやんだならば、農産物丈でも数億の財産は一時に出来る。斯の如く支那は非常に偉大なる力を持って居る。斯う云う風に考えて見ますと、我々は支那と云うものの見方に就いてもう少し考えなければならぬと思う。殊に日本人が島国的の偏狭なる気分に囚われて、あの受容迫らざる大国民の支那を扱うのにもう少し寛容を以て行かなければならぬという感じを深くするものであります。

 要之(ようするに)支那は政治的に非常に混乱した状態が続きつつあり、又支那の国民性の間に非常に欠陥があることは事実であります。けれども我々日本人の立場としては、此の支那人の国民性の欠陥なり、又国家的組織の欠陥等と云うものはこれを善導して行くべき事こそ、我々日本国民の使命であるのでありますから此に我等日本人は過去の支那に対する諸般の態度の上に深く反省すべき点があると思います。

 私共が大亜細亜主義を主張しまして、先ず日本国民朝野に、この大亜細亜精神を普及したいと思いますことは、そう云う点にあるのであります、従いまして、昨年以来、私は四カ月余り支那の南北を旅行して参りました。其の当時、支那の各地に行って支那の方にも申したのでありますが、今日の両国の問題を解決することは外にはない。唯我々日本人と言わず、支那人と言わず、相互に良く反省をする、そうして孔子様に言って居った言葉で、己をを責むることは非常に厳にして、人を責むることは非常に寛にと云うこと、そう云う様な心掛で進むより外にない。其の心持さえ両国民の間に出来ましたならば、両国の此の問題を解決することは、決して難しくないと云う風に申して参ったのであります。

 最近実は日支両国の問題は、政治的にも経済的にも、余程行詰まりの状態にありますが、昨今の新聞を見ると新しく支那に赴任せられた川越大使は「政治的の問題は一寸今は難しいが、一つ経済的の親善を計ろうと云うことを言って居られますが、亜細亜局長の桑島氏が昨日か一昨日帰って来て矢張り同じ様なことを新聞の上に発表して居ります。此のことを私は見て感じた。今日に於て日支両国の関係が今申しました様に、全般的に感情的に悪化して居ります。日本が政治的にやったことが大分失敗に帰してどうもうまく行かないから、今度は手を変えて、経済的に提携して行こうと日本人が言ったからと言って、支那人が直ちにそれに踉いて(よろめいて)来ると考えることは、却って日本の足下を支那人に見透かされる結果になりはせんかと云うことを考えられる。

 此の際私共の先ず支那に向かって言いたいことは、日本は何等支那に対して求ることはない。斯う云う風に言いたいと思います。其の憐れむべき、悲しむべき支那と云うものを救うてやる、これを育て上げて、将来日本と手を握って、亜細亜平和の為に貢献すると云う以外に、我々は言うべきことはないと私は実は申したいのであります。此の心持さえ一つ日本の朝野の人がお持ちになって行くならば今後支那との関係は、経済的と言わず、政治的と言わず当然離れるべからざるものであり、今日の如き悪い状態が長く続くべきものではない、期せずして自然の常態に到来すると信じて居るのであります。大分話がいろいろ脱線致しまして纏まって居りませんが、大体私が支那を見、又現下の此の所謂非常時時局に対する日本の行き方と云うこと()就いて、抱懐して居る大亜細亜主義と云うものの狙い所が鼓の様なものであると云うことを皆様にご諒解を戴ければ幸だと思います。

永々御静聴を煩しまして有難うございました。(拍手)


以上






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プロフィール

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Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修