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「私共の務め」瀬島龍三が興亜観音の機関誌に寄稿したこと

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瀬島龍三は色々言われる人物ですが、興亜観音の機関誌への寄稿で「「興亜観音」についてさらに感銘深いことは、‥‥。現に戦っている敵軍の戦没者をもお祀りする、これは松井大将が提唱された「大アジア主義」、‥‥敵軍の戦没者をも慰霊するのは、日本文化、日本武士道の粋と申せましょう。」と記しているのは、さすがに戦前の日本を正確に認識しているといえましょう。

私共の務め

瀬島龍三

伊藤忠商事株式会社 特別顧問


 熱海市伊豆山に建つ「興亜観音」を護持しようと、心ある方々が活動しておられることを知ったのは、昨年の春でした。
 聞けば、「興亜観音」は経済的にも困窮(こんきゅう)し、堂守の三姉妹たちの生活も楽でなく、こうした窮状を見かねた後輩の陸士58期生有志が中心となって、「興亜観音を守る会」を設立したという。
 田中正明氏を会長に、先輩、後輩や有識者、一般の方々にも広く呼びかけ、浄財を集めて物心両面から支援の手を差し伸べておられる。
 その会から御案内をいただき、昨年5月18日、現地で行われた例祭にはじめて参加する機会を得ました。戦時中、私が直接お仕えした東條英機大将、土肥原賢二大将、そして報告に伺ったり、決裁を頂くなど間接的にご縁のありました板垣征四郎大将、木村兵太郎大将、武藤章中将、「興亜観音」の境内には、これら殉国諸先輩のご遺骨が納められておりますので、住時を偲(しの)び特別の感懐(かんかい)を覚えました。
 「興亜観音」についてさらに感銘深いことは、あの日支事変さ中の昭和15年(1944)2月に、松井大将は日中両軍の戦没者を慰霊供養するためにこれを建立されたということです。
 現に戦っている敵軍の戦没者をもお祀(まつ)りする、これは松井大将が提唱された「大アジア主義」、すまわちアジア諸国は連帯して東亜の安定を図り、世界平和に貢献しようとのご意志の実戦に他なりません。
 敵軍の戦没者をも慰霊するのは、日本文化、日本武士道の粋と申せましょう。
 私の生家は代々信仰心の厚い家風で、幼少のころから仏壇に手を合わせ、お寺詣りなど、私には仏様、お念仏は心や体に染み付いております。
 今日までも、仏壇にお灯明をあげ、お念仏を唱えることは習い性となっております。
 振り返ってみますと、私の80余年の人生は波乱、激動の人生でした。
 幾たびも山河を乗り越え渡り、よくぞここまで来たものだと感謝の念でいっぱいです。これこそ神仏のご加護、亡き両親をはじめご先祖のお導きであろうと、手を合わせています。
 約10年に及ぶ行革審などの仕事が一段落した平成2年の春、残りの人生において何をなすべきかを種々思いをめぐらせました。
 その1つとして戦没者の慰霊顕彰に余生を捧げようと心に決めたのです。
 大本営勤務当時、私は下級の幕僚にすぎませんでしたが、大東亜戦争で多くの軍人、軍属、民間人の方々が尊い命を捧げられたことに対し、まことに申し訳無いと胸の痛む思いを終生持ち続けております。
 その償いを少しでも果たしたいと、戦没者の慰霊顕彰に残り少ない人生を捧げることこそ私の務めである、と心に誓ったのです。
 南太平洋各地の慰霊供養、シベリアにおける戦没者の慰霊供養、特攻隊戦没者の慰霊供養など、数々の戦没者慰霊顕彰事業に関与して参りました。
 「興亜観音」についても、これを護持することは戦没者への慰霊供養であり、多くの友人、同士とともにこれにささやか乍(なが)ら微力を尽くす所存でございますので、皆々様のなお一層のご協力をお願い申しあげたいと思います。

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プロフィール

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Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修