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大亜細亜主義者である満洲国皇帝溥儀とツラン運動(ウラル・アルタイ語族の連帯)

ツラン民族分布図溥儀

「満州国執政謁見記  ——執政は大亜細亜運動の捷利を確信せらる——『大亜細亜主義 2 6月号』ハンガリー・マヂアルザグ主筆 ジエ・コブリヒ博士著(大亜細亜協会)昭和86p108

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 かつて長春と呼ばれ、今日新京即ち「新しい都」と言われる満洲国の首都は、今日猶一つの長い街からなる村にすぎぬが、其處に猶迅速に大都市に発展要素が認められる。‥‥。満洲国溥儀執政は二十八年前北平の有名な王宮の禁苑内に誕生せられ、‥‥。

 私が謁見に参上したのは陽光麗らかな春日であった。灰色の壁塀の門のところで自動車を降りると、其処に満州国の衛兵が立っていた。また官邸の庭には満洲国のお付きの人々が見られら。日本人が溥儀執政の意に反し、執政を監禁しているなどとは、全く虚報である。私が参上して会った日本人といえば、私の次に謁見することになった芳澤前外相だけであった。

 控室で香高い支那茶を饗応され、禁衛隊長の某将軍が親しく話しかけられた。将軍は北京時代より溥儀執政に侍し、共に天津に落ちた人である。「満洲華族の精華、昔の侍臣かはすべて茲に来ている」と禁衛隊長はいう。そして、今日二百五十人の旧臣が嘗ては一塩税官の官舎であった今日の執政の邸でくらしている。この溥儀執政の邸は欧式一階建ての質素なものであるが、既に適当な御住居の建設が企てられているという。しばらくすると私は執政の居られる次の建物によばれた。

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式部長が白壁の戸を開かれると、西洋風な心地よい部屋の中に世界最新の国の元首が立って居られた。執政の服は暗青色の中に淡青の輪の織り込まれた支那服で、その面には犯し難い威厳が窺われる。握手の上、部屋の隅の執政の側の安楽椅子を示される態度は、極めて慇懃で然もよどみがなかった。その中に会話が始まり、私はツラン民族のこと、執政は歴史に興味をおかれて話されたのであった。

 執政は英語をよく話し得られるが、礼儀上の言葉を除き、支那語を以て語られる慣例なので、若い通訳が付せられた。此の青年は、日、支、露、英語を話し得るのである。部屋には我々三人の外には誰も居なかった。私は、茲に於いて執政との談話には日本人の干渉が加わるという説を否定せざるを得ない。私は東京のツラン協会、大道社の長である角岡弁護士から与えられた宣伝カードを机の上におき、我々三人は、その小さい地図に首を鳩めた。そしてハンガリー人は、全世界3億を占むるツラン族同胞に属すると申上げると「満州族もその同胞族の中に含まれるか」と執政が問われ、是に対し通訳が満州族の文字を指示すると執政の眼は輝き「それは結構な運動であり、また必要なことだ。蓋し、それは亜細亜民族の共同に極めて必要だからだ」と言われた。

 そこで私は、その思想が、ハンガリーに於いては、相当古くからあり、またそれは、今日の如く孤立的であってはならず、日満共同の雰囲気中に出生した大アジア運動と手をつないでゆかねばならぬという私見を申上げたのであった。

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 「余は勿論ツラン主義に共鳴し、またそれに共同する大亜細亜主義は世間で誤解するように争いを好むものでなく、それは、国際協調の思想をその中に発展せしむる為に、亜細亜民族の団結をはかるのである。吾人もまたある感情をもっているとはいえ、亜細亜には、欧州がつねに、その憎しみの心からくりかえすような争乱はない」この執政の言葉に対し私が「大亜細亜運動は国際連盟に反対のものか、或いは連盟の如き仕事をなされるものであるか」との意味を質問申上げた處、亜細亜運動の有力なる主唱者である執政は即座に「どちらでもない、吾人は、国際連盟に欠けているが故に、連盟が悩んでいるその当の思想、即ち国際主義の精神性、四海の同胞が魂と魂を結ぶ生活をなすべきであるという思想を涵養せんとする。こうした高い目標は亜細亜以外からも共鳴者を得、相互の理解を増進するであろう。余は大亜細亜運動の捷利を確信する。ジュネブに於いて亜細亜が誤解され、また吾人が自らの運命を開拓してゆかねばならぬということは、吾人が衝突、争乱を求めるという意でなく、そうしたことの原因を最もよく知っている吾人が、それを排除しようという意に外ならぬ。」

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 「もう一つ満洲国の将来につき、お伺いいたしたいのですが」と申したに対し、執政は「王道という高い理想をもって生まれた国、経済生活が日々進展しつつある国、全世界的転落の中に唯独リ栄えつつある国は、信頼と希望とをもたるべき未来を有することは確かである」と。

 かくて謁見が終わったので、‥‥。

 

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Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修