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満川亀太郎著『黒人問題』を読む  (二酉名著刊行会)大正14年・1925年


満川亀太郎


満川亀太郎著『黒人問題』を読む(二酉名著刊行会)大正14年・1925


 満川亀太郎は、北一輝、大川周明と共に猶存社の「三尊」と言われ、戦前の愛国主義者、青年軍人に大きな影響力をもった思想家、評論家であった。

 彼も北や大川と同じく、日本の体制を刷新し団結し強化させることが必要と考えたが、日本だけではない世界維新を日本人の持つ人柄の良さによって成し遂げようということを、二人以上に意識していたことが本著作からもうかがえる。

彼の傾向、特徴は最後の文が「太陽を理想とし、太陽の如く万物を照らさんとする日本民族は、この苗床の伸び行くことを人類の幸福の為に期待すべきである。」で終わっていることによく現れている。一読の価値があると思う。



目次

第一章 世界的民族運動としての黒人問題

第二章 黒人の発生及びその人類学的研究

一 人種問題への経過

二 人類一元接より見たる黒人

三 人種間に於ける黒人

四 ゴビノウの人種哲学

五 黒人はなぜ黒いか

第三章 黒人の生活地帯

一 世界の人口

二 世界に於ける黒人の群

三 黒人の本土と其の分布

四 阿弗利加の黒人

五 大洋州の黒人

六 秘密講及び其の加入礼式

第四章 奴隷

一 黒人奴隷年表

二 奴隷と農奴

三 西印度への黒人奴隷

四 奴隷売買と奴隷制度

五 奴隷狩

第五章 奴隷解放

一 英国に於ける奴隷禁止運動

二 ウィルバルフォース

三 記念すべき一八三三年

四 奴隷保護の国際条約

第六章 米国奴隷問題

一 米国に於ける最初の黒人

二 独立戦争以後の黒人

三 ミゾ(ズ?)リー妥協まで

四 米国奴隷解放運動

五 ロイド・ガリソン

六 テキサス問題と米墨戦争

七 一八五〇年の妥協案

八 カンザス、ネブラスカ案

第七章 南北戦争

一 南北両派の実力

二 アブラハム・リンコーン

三 南北戦争の大要

四 リンコーンの奴隷解放

第八章 欧州人の阿弗利加分割

一 阿弗利加分割領域

二 阿弗利加探検小史

三 イギリスの阿弗利加縦断政策

四 独逸阿弗利加帝国の幻滅

五 フランスのサハラ開発計画

六 ベルジウムのコンゴー経営

七 ポルトガル外に国の分割参加

第九章 解放後の「黒人米国」

一 現在米国黒人

二 修正憲法及び違憲問題

三 黒人の社会的地位

四 強制労働及び幼年労働

五 黒人人口の発展

第十章 黒人私刑問題

一 秘密結社ク・クラックス・クラン

二 黒人の私刑

三 黒人の虐殺

第十一章 黒人の経済的並びに教育的発展

一 経済的発展

二 教育的発展

三 ブーカー・チー・ワシントン

第十二章 大戦後の黒人

一 講和会議に於ける黒人の二国

二 ワシントン会議に於ける黒人

三 欧州に於ける黒人軍

四 西印度に於ける黒人

五 阿弗利加黒人の覚醒

第十三章 黒人共和国建設運動

一 黒人の最大収穫

二 大統領マーカス・ガーベイ

三 大リベリア国建設運動

四 大英帝国の「黒禍」

五 黒人と回教との関係

六 南阿黒人の排英運動

第十四章 結論==人種革命の苗床「黒人阿弗利加」

一 黒人の将来に対する観察

二 黒人の生みし偉大の人々

三 新歴史を創めんとする黒人

四 人種革命の苗床黒人阿弗利加

五 最近五ヶ年米国に於ける黒人私刑表

 

 


第十章 黒人私刑問題

一 秘密結社ク・クラックス・クラン

二 黒人の私刑

三 黒人の虐殺

米国には私刑の外に縷々黒人の大虐殺が行われる。曽てマッキンレー大統領時代(18981901)ニュー・ジャージー州ウィルミントンに起こった大暴動に於ては、無辜の黒人数十名が殺戮せられ、また数百名が其の家から放逐された。然かも大統領は之に干渉すべき権能を有たなかったのである。近くは191771日より2日夜にかけて行われたイースト・セントルイス市の大虐殺事件を初め、1919719日より21日に亘れるワシントンの黒人大虐殺、同年727日より一週間継続せるシカゴの大争闘8月末テネシー州ノックスビルに於ける白人暴徒の監獄襲撃及び黒人狩事件、21531日オクラホマ州チュルサ市の黒白人大争闘等は其の顕著なる実例である。

 孰れの事件も凄惨であるが、黒人街は常に放火せられ、逃れんとする黒人は捕らえられ、ガソリンを浴びせて焚殺せらるる所を、白色婦人が平気で見物するなどの極端な惨虐が演出せられる。チュルサの大争闘は黒人死者26名、傷者235名、白人死者9名、12時間に亘る戦闘の結果黒人街は悉く烏有に帰し財産上の損害150万ドルに達したと言われている。此の争闘は一黒人が白人少女を凌辱せりとの嫌疑を受け、白人より私刑に処せられんとせし事より起り、シカゴの騒動は白人と共に遊泳し居りし黒人を多数の白人が故意に出来視せしめんとしたことが導火線となり、ワシントンの虐殺は黒人が一白人婦人に関係したという理由から起った。

 イースト・セントルイスの虐殺は、白人労働者が黒人労働者に対する反感から起ったもので、戸口調査が明白でなかったけれども、黒人の死者100名乃至150と称せられ、此れを目撃せし一米人記者は有撃に此の国耻を告白して左の如く記している。

 昨日のイースト・セントルイス市中は、皮膚の黒色を以て殺人の免許状とせられた。遠くはセントバーソロミューの光景(1572824日セントバーソロミュー祭りの夜、フランスの暴徒が新教徒二千余人を虐殺し之をセーヌ河中に投棄せし事件)も、近くはトルコ人のアルメニア人虐殺も、将た又ドイツ軍のベルジウムに於ける蛮行も之にまさるべしとは思われなかった。予は取り囲める市民――といわんよりも悉く荒くれたる労働者が、地に平伏して命乞いをなせる黒人を捕らえ、之に投石して殺戮せるを目撃した。予は投石の雨を浴びて将に死に瀕せる黒人が更に縄もて柱に縊(くび)られるを見た。血塗れとなって殆ど喪神せし一黒人が纔(わず)かに首を擡(もた)げたるを見て、通りがかりの一白人青年が巨石を加えて其の頭を粉砕するのを見た。予は黒人婦人の一群が最後の歎願をなしつつあるを、白人婦人が冷視しつつ白人男子の暴行に声援し居れるを目撃した。然しこれは未だ日中のことであった。夜に入るや黒人部落に火は掛けられた。途上の黒人を塵殺して狂猛となれる白人労働者は、新たに潜伏せる黒人を引き摺り出さんとするのであった。黒人は屋内に在っても焙肉(あぶりにく)とせらえ、屋外に出ても撲殺されるのである。‥‥。

イースト・セントルイス虐殺事件に就ては、故大統領ルーズヴェルト氏に就き語るべき一節がある。氏は事件後カーネギーホールに於けるロシア特使(ケレンスキー時代)歓迎会の席上、その歓迎演説を述ぶるに先だち『各人に対して正義を説く前に吾人は先ず我々自身の間に正義の確立せられあるや否やを検めなければならぬ』とて、事件を引証し来たり、暴行白人に対して大痛撃を加えた。‥‥。されば事件後一ヶ月にして八千の黒人がニューヨーク市中を練り歩き示威運動を兼ねるに一大葬式行列を試みたとき、『各人に対して公平なれ』と大書せられし旗の通過せし際には、‥‥黒人の群は、無料の感激を以て拍手を送ったのである。」

 

第十一章 黒人の経済的並びに教育的発展

一 経済的発展

二 教育的発展

三 ブーカー・チー・ワシントン

第十二章 大戦後の黒人

一 講和会議に於ける黒人の二国

二 ワシントン会議に於ける黒人

「大戦を一転機として戞然(かつぜん)覚醒し黒人は、在米一千万の同族を中心として新たなる活動の舞台に入った。‥‥。

 是より先き1919年の講和会議席上、日本全権の提出せし人種差別待遇撤廃案は全世界に擴延せる黒人に対して多大なる感動を与えずしては已まなかった。該案はたとえ大国の反対のために通過しなかったとはいえ、後年の国際連盟総会に於て世界の有色十三億の歓呼の裡に通過したのは、此の提案が其の大原因となったのである。‥‥、黒人は講和会議以来深く日本全権委員を徳とし、リンコーンの肖像と共に槙野全権の肖像をも併せ掲げるほどになった。」

 

 

三 欧州に於ける黒人軍

四 西印度に於ける黒人

五 阿弗利加黒人の覚醒

第十三章 黒人共和国建設運動

一 黒人の最大収穫

「黒人阿弗利加共和国建設運動は、欧州大戦の実として得たる黒人の最大収穫たるのみならず、実に世界人類史の光彩ある頁を彩るべき重要なる文献である。

 大戦に於て世界に国家なき悲哀を痛切に味わったものは恐らくユダヤ人であろう。されどワイツマン博士等の多年にわたる努力は、兎に角1100万のユダヤ人を代表するユダヤ国をパレスタインの故郷に建てるに至った。それは遠き昔のユダヤ国がバビロニア国王ネブカドネザルの為に滅ぼされし日より屈指して2500年の星霜が流れる。

 黒人に至っては未だ曽て国家らしき国家をもたなかったのみならず、民族としても何等統一的要素と組織とをもたなかった。国家は滅びてもユダヤ民族は存在していた、支那人の国家は今後或いは如何になろうと、支那民族としての存在は失われない。然るに黒人の大部分は五千年来暗黒大陸の中に密封せられて、動物を彷彿せしむるが如き生活をおくるに非ざれば、奴隷として新大陸に400年間の悲痛を体験して来た。然るに端しなくも欧州大戦の勃発は、在米1000万の黒人を先達者として大なる刺衡を与えた今阿弗利加の西海岸、大西洋の怒涛危礁を噛む所に、不思議な建国をなし来ったリベリアを全阿弗利加大に拡延して、ユダヤがパレスタインに帰ったが如く、彼等も亦其の故郷に帰って、彼等自身の手に暗黒大陸の光を点じようとする大運動が、即ち此の黒人共和国建設運動である。

 米国ニューヨークは世界革命の揺籃である。多くの革命家は此処に潜み、此処に計画して驚天動地の偉業を建設した。ロシア革命の巨頭トロツキー氏も曽て此処に在った。アイルランド独立の巨人デ・ヴァレラ氏も近く此処に刑を回らしていた。在米印度独立運動の中心人物たるタラクナス・ダス氏も亦現に此処に居る。而して我が黒人共和国建設運動の本部も亦ニューヨークなる西138番街にあって、共和国大統領マーカス・ガーヴェー氏は万国黒人改善協会の内に起臥している。‥‥。

 

二 大統領マーカス・ガーベイ

「‥‥。『白人の基督教は黒人に適しない。白人の神、白人の基督が黒人に何の役にか立つ。白人宣教師は奴隷貿易の手先となって400年来黒人を毒して来た』ガ―ヴェー氏は此の主張を提げて黒人の為に黒人の新宗教を宣伝せざるを得なかった。彼は『エジプト、ギリシア、及びフェニキアの文名も黒人からの借用物である』と叫んだ。『基督が黒人であったことも証明された』と言った。されば白人宣教師はあらゆる手段を盡して此の異端者を迫害し、白人に雇われたる黒人宣教師も亦驚駭(きょうがい)の目を瞠(みは)りた。然しそれは結局ガ―ヴェー氏に殉教者の光彩を与える仕事に過ぎなかった。帰依者の数は日に幾万と増加し、かくて彼は其の周囲に集まる人々と共に、理想実現の第一歩たる資本金2000万円の黒星線汽船会社の創立に成功した。

……。19148月創立当時僅かに15名の会員に過ぎなかった万国黒人改善協会は、忽ちにして全世界に600の支部と500万の会員を有するの盛況に達した。彼は今や阿弗利加共和国大統領であると同時に、万国黒人婦人改善協会会頭黒星線汽船会社社長黒人工場社団長及び雑誌『黒人世界』社長である。」

 

三 大リベリア国建設運動

「大リベリア国建設の第一声が、今まで冷酷と侮蔑と迫害とを以て終始せし白人をして、「黒禍」の爆弾として驚倒せしめたのは19208であった。即ち黒人改善協会より全世界に散在せる支部に召集状を発し、派遣せられし3000名の委員を以てニューヨーク自由会堂に前古未曽有の黒人会議が開かれた。この会議は81日より一か月に亘って連続的に開催され、大共和国建設の具体的組織、憲法制度を討議し、其の大会終了の831日を以て黒人の国祭日と決定し、ガ―ヴェー氏は挙げられて阿弗利加共和国の大統領となった。

 大会開催の第1日、マヂソン・スクエア・ガーデンに集まれる2万の黒人に対し、ガ―ヴェー氏の試みし演説は黒人史創造の第1頁に特筆大書せらるべきのみならず、恐らくは世界革命史を彩るべき重要なる記録であろう。彼曰く

『吾人黒人は虐げられたる他の諸民族と均しく、今や蹶然(けつぜん)として自己解放の為に起つべき時期に際会した。吾人は300年の久しきに亘り西半球に於て奴隷的待遇を受けた。此の間吾人は阿弗利加大陸に於ける兄弟姉妹と分離したが、今日全世界の黒人同胞は自由民として此の一か所に集った。吾人は今や茲に権利の法案を作らんとし、四億の同胞が若し必要とあらば鮮血を以て之を擁護すべき憲法を作らんとする。吾人はアイルランドエジプト印度及び東欧諸国民と共に、自由と平等と民主との為に奮闘すべき時期に到達した。吾人の信ずる所は我々黒人が其の努力を一にし、人種的大同団結を以て吾人の母国阿弗利加を建設するに在る。吾人は最大最強勢力のい一たるべきリベリア共和国の建設に従事し、以て財政的、経済的、教育的に吾人の種族的協力を高調しなければならぬ。新黒人の絶叫は『自由か然らざれば死』である。』

と。彼の演説には現状維持者より見て最も危険なる思想が表白されている。それだけ人種的世界革命の予言が含蓄されている。‥‥。

 黒人大会は毎年一回8月に開会のことを議決している。即ち第二回万国黒人大会は192181日を以てニューヨークに開催せられ、欧、米、阿弗利加、亜細亜の各地より之に出席した代表者は五万人に達したと言われる。会場内には大統領ガ―ヴェー氏の激励演説に次いで、将来の人種戦を防止する為め、アイルランド、エジプト及び印度の解放に盡されんことをイギリス皇帝に打電し、又アイルランド共和国大統領デ・ヴァレラ氏に打電して将来の援助を約したが、場外の黒人街には15千の黒人が赤、黒、緑の三色旗を振り翳(かざ)して行進曲に連れて練り歩いたのである。

 第三回万国黒人大会も亦、其の翌19228月に開かれ、米国、亜細亜、欧州、阿弗利加、カナダ、南米、豪州及び西インドの各方面から代表者が出席した。‥‥。ポーランド、エジプト、アイルランド等の独立運動に対しても多大なる同情の言辞を挿み、印度のガンヂ氏の名も亦縷々黒人の口に上った。‥‥。」

 

四 大英帝国の「黒禍」

 「此の如き黒人阿弗利加運動は、風の如く米国に起こって新しき黒禍問題を醸成し、年々其の勢力を増大しつつあるが、仔細に運動の本旨と其の主張とを観察し来たらば、脅威を感ずるは米国よりも寧ろイギリスに在ること明白である。何となれば黒人は決して多年圧迫残害されし米国内に独立国を建設せんとするに非ず、その故郷なる阿弗利加に帰還し、大リベリア共和国を建設すべき宣明を為せるに見れば、退去を要求せらるべきものは今日阿弗利加を支配せるイギリス的勢力である。

 ‥‥。

 且つ今日米国は世界に於けるあらゆる民族運動の下宿屋たる観を呈している。而して此等は悉く大英帝国の支配に対する反抗運動を意味しているが、相互に連絡応援を計りつつあるのみならず、人種的革命の潜勢力たる黒人と密接なる関係を結べることは察知するに難くない。黒人阿弗利加の理想が何れの時実現すべきかは予言できないが在米1000万の黒人を阿弗利加に帰還せしむることは決して困難ではない。‥‥。米国にして他日自国に厄介なる黒人を阿弗利加に追払うことを可なりと考え、或いはまたイギリスとの外交関係緊張した場合、イギリスを困惑せしむる材料に供して此の運動を扇揚後援するが如き態度を取ることありとしたならば、大英帝国の殿堂は此の大風にあおられて益々大火の火の手を揚げるに至るのであろう。」

 

 

五 黒人と回教との関係

六 南阿黒人の排英運動

第十四章 結論==人種革命の苗床「黒人阿弗利加」

一 黒人の将来に対する観察

二 黒人の生みし偉大の人々

三 新歴史を創めんとする黒人

「‥‥。白人は追々黒色人等に産児制限や若返り法などを教えるであろうが、文明の堕落が未開民族の間に広がっては全世界の破滅である。ルーデンドルフ将軍の眼から見れば黒人の厭うべき蛮行も、神の眼より見れば文明の悪用に対する責罰である。若し今日の儘で押し進むならば、ローマの腐敗が暴帝ネロに依って一炬(きょ)に附せられたるが如く、全欧州が黒人より報復せらるるの日は来るであろう。‥‥。」

 

四 人種革命の苗床黒人阿弗利加

「‥‥。

『黄禍』『黒禍』。ボルセヴィキの威嚇が1920年のワルソー敗北以来、漸くその影を薄らぎ行かんとするに反し、有色人種の脅威は却ってその猛烈の度を高騰せしめんとしている。スドッダード氏がいみじくも譬えし如く、今回の大戦は明かに新ペロポネソス戦争であった。『黒人世界』は曰く

 

若し正義に対する吾人の要求にして肯かれなかったならば、次期戦争は黒人対白人の間に開かれるであろう。その際日本にして来たり、吾人と提携したならば吾人の戦勝は易々たることであろう。

と。また曰く

亜細亜に起こりつつある軍国主義と、欧州に現存する軍国主義とを両者対照する者は到底黄白両種族間に戦争の勃発已むを得ざることを認めるであろう。我々黒人が自由の為に剱を抜いて起つのは実にその機会である。

と。新黒人の決心はニーゼル河畔に惰眠を貪れるネグロ種族と全然別個の人種の如く思われる。さればこそ一切の異邦人排斥を事とするクラン団の如きが、日本を排斥するに日本が黒人の独立を扇動しつつあるなどと中傷するのである。かく知らぬ間に日本が引き合いに出されては、迷惑至極のことであるが、されど黒人が斯く日本に対し秋波を送り、又米国の排日先生が中傷するのは、パリ講和会議に提出された我人種差別待遇撤廃案の御蔭である。この不思議なめぐりあわせによって、日本は黒人から非常なる期待を受けているのである。

 

 実に其の事の成否如何に拘わらず、日本の提案たりし人種案は確かに世界革命に向かって投ぜし一個の爆裂弾であった。日本人は自ら為せし行蹟の意義を覚らなければならぬ。而してこの一爆弾に依って世界の舞台が如何に旋転し来たらんとするかを注視せねばならぬ。ダイナマイトを利用する農業は大陸に於て漸く行われんとしている。世界の新紀元を開かんとする人種革命の苗床、それは疑いもなく黒人阿弗利加である。太陽を理想とし太陽の如く万物を照らさんとする日本民族は、この苗床の伸び行くことを人類の幸福の為に期待すべきである。

 

五 最近五ヶ年米国に於ける黒人私刑表

1920年 65

1921年 64

1922年 61

1923年 28

1924年 16




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Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修