FC2ブログ

記事一覧

「中共の本質」 其の二 「中共の様式(スタイル)」を見る

「中共の本質」
其の二 「中共の様式(スタイル)」を見る
「中国共産党」「中華人民共和国」の形成主体である「中国人」とは何か?

前回の「中共の本質」其の一「本質」の定義で、「本質の解明」とは対象の「存在論」「様式論」的考察である、としました。
 何故「様式」と「存在論」を見なければならないかというと、●●の本質を明らかにするということが「●●が何をしているか?(してきたか?)と●●が他と違う所は?」を検証するということが正に様式を見ることで、そしてその違う所の生む基因とは何かということを明らかにすることが正に「存在論」に関する考察であるからです。
例えば私溝口の本質を言う場合を考えれば、溝口が今まで何をしてきたか?溝口と他の者との違いは何か?その違いを生む根源的な基因は何か?ということを明らかにすることだということになります。
ですので、今回から、その「様式」を見ることで中国人を検証し日本との違いについて述べていきます。
「様式(スタイル)」は「自然条件」「歴史(生い立ち)」「行動(成果や性格)」「自己固有の条件」「周囲の人的条件」「経済条件」「精神状況(信仰・哲学・師承関係)」「習慣(法律・風習)」などに分類できます。
 中共の本質を明らかにするため、それらを順番に見ていくこととします。
1.中国の自然条件から見る中国人的様式
地形条件

 中国はユーラシア大陸の東部の寒冷地でも熱帯地でもなく人が住みやすい温帯気候地域に、東方は太平洋、北方は寒冷広大なモンゴル高原・極寒シベリヤ森林、西方は砂漠と険峻な高山、西南方は宏大・不毛のチベット高原などで外界と遮られた広大な平原に存在しています。
 また1万2千前の最終氷河期の終了で黄海・渤海の大陸棚が水没する前までは更に2倍の面積の広大な大平原を持ちその平原を通り障害なく(黄河・揚子江・淮河等の大河はあるが)シベリヤから、当時同じく存在した東南アジアの広大な平原(スンダランド)まで南北を行き来できる自然条件を持っていました。
これは世界の他の古代文明が地中海・黒海などの海、広大な砂漠、険峻な山脈などにより人種の融合が阻害されていたのとは大きく違う自然条件を備えているといえます。 
 従って他のユーラシア大陸の地域とは違い空間的に広範囲に初期東アジア人類が移動したと考えられ、その中で所謂Y染色体男系遺伝子O系統の所謂漢民族系、支那チベット語族系の諸民族が発生し形成されてきたと考えられます。
 実際、原始時代だけでなく近代でも、広い支那地域を部落ごと移動するということが多く行われているので隣の部落とは方言が全く違うなどということが多くあります。
 またそれが、中国特有の械闘(隣接部落同士での武器を持った戦い)の条件的基礎ともなっています。
植生の大変化
 現在では、タクラマカン砂漠は勿論、西北地方、内モンゴル地方が不毛の砂漠もしくはステップなどの乾燥地になっていますし、その他の北方地域でも大地や山が木のない状況になっています。
また、北部中国では河川も跡だけがあり干上がっていて広範囲に水がない地域が広がっています。
 ところが以前は全く違った状況でした。
 今では完全な乾燥地帯で平地にも山にも植生が見られない内モンゴルの南東の地域も数千奄前は豊かな森林に囲まれ湖もあり、興隆窪文化や紅山文化などの「遼河文明」が栄えた支那古代文明の揺籃の地の一つでした。
※すでに「黄河文明=支那古地域代文明」という図式は中国では廃止されており「黄河文明・長江(揚子江)文明・遼河文明・東夷文明(山東半島)」の並立発展が中国の古代文明の成立であるとされています。
 現在ではタクラマカン砂漠のど真ん中にある楼蘭の遺跡も古代は豊かな巨大な湖のほとりに林に囲まれて栄えた文化であったことは有名ですが、他の地域も同じでした。
 今では北方中国では竹は自生していませんが、唐代の長安では「竹」が生えていました。遼寧省渤海沿岸にあった古代国家の「孤竹」もそれを伝えている名でしょう。
 中国北部では山と平野に木がなくなり雨が降ると肥沃な表土が流出し土地が痩せ、河川に堆積した土砂が洪水被害を大きくするという悪循環を繰り返しました。
 広大な大平原での大洪水による長期の耕作地の水没と乾燥化による干ばつは悲惨な飢饉をもたらし、部落ごとの流浪、移動を歴史的に繰り返し常態化させる原因ともなってきました。
 今では、中国の平野部にはすでに自然の大木はほとんどなく、日本に大きな影響を与えた中国の伝統的木造建築の文化も廃れています。清代以降はレンガが建物の構造材として一般的には用いられています。
 中近東の古代で、レバノン杉が地中海東岸地域に生い茂っていてイラク・イラン・トルコでも今より遥かに自然植生が豊かでライオンなどの野生動物がいたのに今では砂漠化し様相が一変しているのと同じだといえます。
野生動物生息域の変化
 一万二千年前の最終氷河期終了までは淮河以北の地域は凍土地帯で、マンモスなどの北方系の動物が生息しており人々はそれを狩りして暮らしました。
 温暖化に伴い南方系の動物の生息域が北進し、像やサイ、ワニなどが北方地域にも暮していました。
 遅くは宋代でも揚子江以北で象の群れがたびたび見られたと当時の書物の記述がみられます。
 今でも、ごく少数ですが「揚子江ワニ」が生息していますが、昔は江蘇、山東地方の水郷・湿地帯にもワニが住んでいたことは間違いがありません。
 山の中には様々な野生動物の長として虎が生息していましたし豹もいました。
 三国志や水滸伝、東宋の漢詩を読んだり歴史を考える時は、今とは全く違う当時の自然環境を思い浮かべなければ本当の理解は出来ないでしょう。
 また、自然と共に暮らしていた古代中国人と、全く自然がなくなってしまった広大な耕作地の中で生活し彷徨う現在の中国人との気質的な違い、世界観の違いにも気を配るべきだと思います。
 【日本の自然条件】
 日本人の祖先は、その他の世界中の人類と同じくアフリカを出発し拡大、遷移を続けましたので日本列島に着くまでは特に他と違う特徴はないでしょう。何といっても日本人の特性を形成したのは日本列島に到着してから二万年間そこを出ないで生活を継続してきてからです。
 地形で言うと、日本列島は大陸より圧倒的に小さく内陸部に住むものでも何日か歩き続ければ必ず海に行き当たり魚介を得ることはできますが、中国では一端飢饉が起きると歩いて行ける範囲の広大な人工的に耕され自然の無い平原全てには食料がなくなっており、餓えて野垂れ死にするか他人のものを盗るか又は殺して他人を食べるかしかなくなります。
 また日本列島は小さいわりに海岸線が複雑で入りくんでいて多くの半島もあり、平野が非常に狭く山が殆どで流れの急な河川がいたるところにありますし、温暖な気候により植生に富み、山の幸、海の幸が豊富なので、それぞれの部族・部落が独立・孤立した生活を営むことが可能な自然条件を持っているといえます。
 日本は大陸から程よく離れていて、近くに異民族の住む島もないので、他民族の侵略による民族・人種の交代を数万年間一回も経験しないで現在に至っています。
 天皇の系譜は分かっているだけで2000年ほどですが、その前からもつながっているのは間違いがなく、民族の継続は少なくとも一万五千年はあり、伝統的日本建築には縄文時代の竪穴住居の特徴が残っているほどです。
日本の自然条件が生む精神と中国の精神の違い
中国人にとり現在住んでいるところは何日歩いても果てに行きつくことはできない大平原を移動する途中の仮の住まいだという感覚(大海上にいるのと似た感覚)なので、隣人と関係が悪くなっても他へ移動すればよいという気持ちが根底でありますが、日本人の場合は逃げる場所が殆ど限られるという感覚が前提なので、隣人に対して「嘘はつけない」「相手の立場を考慮する」「責任を持って接する」ということになります。
その違いから、日本人から見て「大げさな大言壮語」「何処まで行っても自己中心」「無責任で平気」と感じる中国人の特性が生まれていると思われるのます。
 つまり、根底から徹底的に日本人と中国人は違う感覚を持っているのです。
今回はここまでです。次回は「日本人の知らない中国の歴史」を検証し「中共の本質」に迫りたいと思います。
                                              溝口墨道

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修