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松井石根大将のお人柄が最古の仏典に説かれる理想の聖者の姿と重なる

松井石根大将の生涯を、見るたびに、その聖者にも思える人格に感銘を受ける。
私には、最古の仏典に帰される「聖者」の姿に松井石根大将が重なってしょうがない。
所謂A級戦犯として巣鴨で松井石根大将と同室だった思想家の大川周明は松井大将を評して「語黙動静、坐臥進退、凡そ将軍のように微塵も衒気なく、而も挙措自ら節度に叶って居る人は、絶無でなくとも希有である。「何を以て君子と知るや、交情また淡の如とし」私はこの淡如という形容詞は、将軍のために出来た言葉のように思った。私はかような風格の将軍と日夜起臥を偕にする欣びを、獄中で満喫しようとは夢にも思はなかった。」と記した。(大川周明著『安楽の門』⒖頁)大川周明も松井大将にならい毎朝夕「観音経」を読誦し、「ある夜、豁然と法悦の境地に入ることができた。私は初めて、雲霧をひらいて青天に白日を仰ぐが如く、観音の光明を得た」と書いている。
 以下、最も古く釈迦の言葉を直接伝えている部分が多いと言われる『スッタニパータ(経集)』〈『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳(岩波文庫)2010年第52刷版〉の一説を引き、松井石根大将のお人柄を偲んでみたい。

(第四 八つの詩句の章 十五、武器を執ること)
聖者は誠実であれ、傲慢でなく、偽りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪な貪りと慳み(ものおしみ)とを超えよ。(941)
安らぎを心掛ける人は、眠りとものぐさとふさぎ込む心とにうち勝て。怠惰を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。(942)
嘘をつくように引き込まれるな。美しいすがたに愛着を起こすな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることもなく。ふるまえ。(943)
古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)にとらわれてはならない。(944)
わたくしは、(索引する者のことを)貪欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、超えがたい欲望の汚泥であるともいう。(945)
バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。彼は一切を捨て去って、「安らかになった人」と呼ばれる。(946)
世間における諸々の欲望を超え、また克服しがたい執着を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく思いこがれることもない。(948)
過去にあったもの(煩悩)を枯渇せしめよ。未来には何ものも有らぬようにせよ。中間においても汝が何ものかをも執しないならば、汝は「安らかな人」としてふるまうことであろう。(949)
名称と形態について、〈わがものという思い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、――かれは実に世の中にあっても老いることがない。(950)
「これはわがものである」また「これは他人のものである」というような思いが何も存在しない人、――かれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。(951)
過酷なることなく、貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、万物に対して平等である。――—動じない人について問う人があれば、その美点をわたくしは説くであろう。(952)
動揺して煩悩に悩まされることなく、叡智ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。彼はあくせくした営みから離れて、いたる所に安穏を見る。(953)
聖者は自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、優れた者のうちにいるとも言わない。彼は安らいに帰し、慳み(ものおしみ)を離れ、取ることもなく、捨てることもない。(954)
 ――—と師は説かれた。
以上、引用した。

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bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修