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韓・朝鮮民族の歴史系譜。

韓・朝鮮民族の「乗っ取り」「成りすまし」歴史系譜。
①10万年前から1万2千年前までの氷河時代、渤海湾、黄海は陸地で、今の朝鮮半島は凍土平原の高地に過ぎず影も形もなく人も希少であった。
②一方で3万年前には日本列島とユーラシア大陸東海岸部に到達していた我々の祖先のY染色体D系統人は、ここで早くも1万5千年年前には、世界最古の「新石器文化(縄文文化)」を築き先進的な生活をおくっていた。
③1万2千年前に氷河期が終わり海が後退して朝鮮半島が出来でからは、無人に近かったが、一部にいわゆる東夷諸族と縄文人が混住していた。
④8千年前ごろから山東半島と華北平原海岸部の東夷諸族は漢民族の勃興に押されて、朝鮮半島への移住を続けた。
⑤紀元前1000年の周の建国のころ殷商系の漢人が半島へ亡命移住した。以後漢民族の植民地になった。
⑥紀元前3世紀に燕の領地となってからは前漢・後漢・公孫・魏・晋の600年間近く漢民族の正式領地(植民地ではない)で半島南部・東部の雑多な諸部落は属民として中原王朝に服属していた。
⑦その間一貫して、半島南部には「倭人」が居住して優勢な勢力を持っていた。
⑧匈奴、鮮卑、扶余などの北方民族は長年南下をくり返し、漢民族王朝と正面から抗争していたが、日本海沿いの沃祖・濊系の弱小部族は漢民族の領地を避けながら朝鮮半島を南下移住していた。
【初めての韓・朝鮮民族の火事場泥棒の大成功 建国】
⑨西暦316年に、匈奴、鮮卑、姜などの北方民族の大侵入により晋が滅び漢民族は南に逃げ民族滅亡の瀬戸際となった。
その時、朝鮮半島の諸民族は火事場泥棒の最大の好機ととらえ、高句麗が楽浪郡、百済が帯方郡の漢民族都市を侵略し全てを手に入れ建国した。高句麗は元々国家であったが、百済などは全くの火事場泥棒で成りすましの建国であった。
⑩以後、高句麗、百済、新羅(初期の王権は倭人系・漢人系・東夷系・北方系部落の共同)は漢人と漢民族文化をうまく利用して国家を経営した。
 ⑪以上の経緯であるから百済、新羅が大和王朝を大国として敬い人質を差し出して服従し、高句麗がライバルとして半島の覇権を日本と争ったのも当然であった。
⑪今日本人が「高句麗・百済などから朝鮮半島の先進文化をいただいた」などというのは勘違いも甚だしい。
「漢人を伝えた百済人の五経博士王仁」は名の通り、「漢人文化人の王仁が漢民族文化の精華である漢字と儒教を日本に教えた」だけであり大和朝廷が欲したのは漢文化であり朝鮮文化では全くない。
⑫「仏教が朝鮮半島から伝えられた」というのも大嘘である。仏教はインドで発祥し、その梵字経典が中国で漢訳され宗派が成立して、日本に伝わったのである。交通の不便な中でも奈良時代の日本人は危険を冒して中国に渡り、かの地の寺で修業し経典を持ち帰ったのである。
 朝鮮半島は中国や西域・インドの先進文化が日本に伝わる時の「廊下」に過ぎない。文化の創造主でも持ち主でもない。時に運んでくれるが元々彼等の物ではないから「ご苦労様、ありがとう!」と言えば充分なので、恩人として感謝するのはおかしい。
【二回目の韓・朝鮮民族の火事場泥棒の大成功 ライバルを滅ぼす】

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プロフィール

bokudoart

Author:bokudoart
 幼少より絵を描く事、中国や北方・中央アジアの歴史が大好きであった。大学を卒業し会社勤めのあと中国の美大で水墨人物画を専攻し美術史専攻の大学院にも進み中国の古文献読破に数年間没頭した。以来、約二十年画家・美術団体代表として活動中。中国での生活で、今後の世界における日本の果たすべき歴史的役割を明確に知った。
 1万年以上途切れることなく続いた縄文文化に根差した日本という国の文化の素晴らしさを日本人は自覚し世界にそれを広めなければならない。青学大卒、南京芸大院修